阿須那

あすな

ちくせん | 各地区レポート | 阿須那地区
Asuna Area | CASE STUDY NO.01
 

地区の中で生活できる体制を自分たちでつくらんといかん

地元の人たちが楽しんで暮らせる環境を

山あいを抜けると、古い旅館や商店が立ち並ぶ町並みが現れた。かつての阿須那地区は、市が開かれ、賑わいのある地域だったという。昭和30年代は3300人ほどが暮らしていたが、今では人口650人ほどになっている。

「YUTAかプロジェクト」事務局の松島道幸(みちゆき)さんが話を聞かせてくれた。

「ちくせんが始まったとき、『移住定住、関係人口を増やしましょう』が目的だと言われたんです。でもいきなり移住とはならないですから。まずは地元の人たちが楽しんで暮らせる環境をつくって、遊びに来てくださいと言える場所にしようと考えたんです」

2017年4月には世代をこえた住民の交流施設として『おしゃべり処・よりんさい家』をオープンした。100円でコーヒーを飲むことができ、参加者同士でおしゃべりを楽しめる場。健康体操や脳トレのプログラムも行われる。毎週金曜日の9〜12時にはサロンが開かれ、多いときには20〜30人が集まる。

よりんさい家は女性の利用者が多く男性の集まりが今一つだったため、年配の男性でも参加しやすい場をつくろうと始まったのが、阿須那式の炭焼き窯づくりである。質のいい炭をつくるために改良された特殊な窯で、こちらにはノコやチェーンソーをもって男性が数多く集まった。コアメンバーは3〜4人だが、木の伐採、火入れや、窯出しなど、日によって大勢が一気に集まる。これが遊びの場になり、集いの場にもなった。

人口650人の地区で、300人が参加する運動会

さらに、若い人たちも楽しめるものをと始まったのが地区の運動会だ。じつは阿須那では平成13年頃まで自治会対抗で行われる運動会が行われた。15年間中断していたこの運動会を、ちくせんを機に復活させた。

「それも、若い人中心でやりましょうと。20〜40代の8人に集まってもらって、競技の内容を運動場で実践しながら自由に企画してもらいました。これが楽しいんですよ。毎回大笑いしながらね」

1年の準備期間を経て、2017年11月3日、第1回目の運動会が行われた。帰省組も参加できるというので、いまは町外に住む地元出身者も数多く帰ってきた。650人の地区で300人が参加する運動会。

「年寄りは参加しないのではなくて、支える側にまわればいい。たとえばある競技のために、風船を飛ばす機械をつくったのは年配者たちです。ここを踏めば、風船がぼーんと飛ぶよと」

1回目の運動会は大成功に終わり、それから毎年続いている(2020〜2021年度はコロナのため中止)。ほかにもちくせんで始まった活動には、耕作放棄地を使った「広島菜」の栽培などがある。

阿須那では、ちくせんが始まる前から任意団体「YUTAかプロジェクト」が地域づくりの中心的な役割を担ってきた。主要メンバーは約40人もいるという。

「ただし、婦人会が手伝ってくれたり、地域の人たちが入れ替わり立ち替わり来てくれる。名簿に載っている正メンバーかどうかは関係なく、地域全体でやっているという意識をもっています」(松島さん)

デマンド交通とガソリンスタンド事業

もともと同じ羽須美村だった阿須那地区と口羽地区は、ちくせん事業とは別に「羽須美地域の交通を考える会」を通して「デマンド交通」の取組を進めてきた。地元住民がドライバーになり有償で送迎するサービスで、地域内で支え合うしくみの一つ。前日の17時までに予約をすれば、ドライバーが迎えに来てくれて目的地まで乗せてくれる。運賃は1人につき200〜500円、乗り合いもOK。ドライバーには現在16名が登録している。ちょっとしたお小遣い稼ぎができるしくみでもある。

2020年1月からは、阿須那でガソリンスタンド事業も始まった。これは、農協からYUTAかプロジェクトが委託を受ける形で運営している。将来サロンや商店、コインランドリーなどを一箇所にまとめた「小さな拠点」にすることを視野に置いている。

あすな地区応援隊の発足で、若返りを

2021年度、阿須那はお隣の口羽地区とともに県の「小さな拠点づくり」モデル地区推進事業の対象地域に採択された。この推進組織として、地区内で新たに結成されたのが「あすな地区応援隊」である。

「YUTAかのメンバーとは別に、若い人たちを入れて組織を若返らせようと考えました。そこで14〜15人に声をかけて、新しく『あすな地区応援隊』をつくったんです。平均年齢70歳だったのが10歳下がりました」

バリバリ働いている勤め人は難しいが、これまでに協力してくれた人物や、勤めていても部分的に参加できそうな人を、一人ひとり訪ね歩いて口説いたのだそうだ。

あすな地区応援隊では、これから益々必要になる福祉面のサポートを、実働部隊としてやっていこうとしている。

「小さな拠点づくりモデル事業」に専念するため、阿須那は口羽同様、ちくせんの発展事業には参加しない予定でいた。ところがまだできたばかりのあすな地区応援隊が地域に根付くためには、ちくせんがあった方がいいのではと、町のほかの地区に一年遅れで参加することになった。

「あすな応援隊は、小さな拠点づくりを進めていく土台になります。ですがまだ体制的には経験が少ないこともあって、ちくせん事業の枠組みの中の方が動きやすい面があるんです」

650人のまちに100人の応援隊がいる心強さ

あすな地区応援隊ではたとえばどんな取組を行っていくのだろう。

「今考えているのは、有償ボランティアのしくみづくりです。たとえば、灯油の置き薬という、ある地域で行われている取組を始めようと考えていて」

地域住民に10Lの灯油缶を二つ買ってもらって入会費とする。その二つに灯油を入れて家の前まで配送し、一つを使い切ったら電話をもらう。一週間に1回、配達の日を決めて、多少のお金をもらいながら継続的に高齢者をサポートするしくみである。

「まずはあすな応援隊ってこういうことするんだよと地域の人たちにわかってもらうために、何か一つ走らせる方がいい。その上で草刈りや雨樋直し、電球を変えるなどさまざまなことに対応していこうと」

あすな地区応援隊のコアメンバーは14〜15人だが、その友人知人にも声をかけて約100名ほどの登録メンバーがいると聞いて驚いた。今は活動できなくても、いつか協力したいから名前だけでもという人が、3分の1ほどいるという。

「メンバーになってくれていることそのものが重要なんです。650人のまちに、応援隊が100人いるって心強いでしょう」

松島さんは、阿須那くらいの地域規模がもっとも、ちくせん事業に合っているのではないかと話す。急激な人口減が現実に起こり、ちくせんを進める説得力があるからだ。

「私は言うんです。人が少なくなったら何がなくなるだろうと。学校がなくなる、銀行がなくなる。役場も人が減る。阿須那でも10年前まで当たり前にあったものがどんどんなくなりました。山陰合同銀行がなくなり、農協の人員は減り、郵便も窓口業務だけ。店はいま加藤商店と日高商店だけ。これから先、学校もなくなったら、ここには何も残りません。

そのとき、あなた方はどうしますかと。『いいよ、俺は三次まで車で行くけん』って言う人もいる。でも『あんたいつまで車に乗るつもりなん。免許更新するのも大変になるんだよ』って。そういう話をします。自分たちで何とかせんといかん。地域の中で生活できる体制をつくらんといかんでしょと」

これ以上ないほどに、説得力のある言葉だった。