市木

いちぎ

Ichigi Area | CASE STUDY NO.03
 

メンバーや内容を入れ替えて新たなスタートを切った第2

合同会社安夢未を中心に進んだ第1期

もともと市木地区には、「安夢未(あゆみ)プロジェクト」という地域の任意団体があった。盆踊りやお月見会などのイベントや、地域づくりの先進地への視察など、さまざまな事業に携わる熱心な団体だった。  
ちくせんも、自然とこの組織を中心に進めることになった。収益事業も扱えるよう地域の20人ほどが出資をして、安夢未は合同会社(LLC)になる。執行社員が6~7人、そのうち2名が中心になってちくせん事業を進めてきた。
 
そうした経緯を教えてくれたのは、ちくせんの第2期に入って中心メンバーとなった川取雅也(かわとりまさや)さん、静間幹生(しずまみきお)さん、林賢司(はやしけんじ)さん、水口貴文(みずぐちたかふみ)さんの4人。まずは第1期にどんな取組を行ってきたのかを聞いた。
 
一つめの柱は「市木宿(いちぎやど)再生事業」。地区にあった「もりたや旅館」を改修して民泊を始めることに。ところが法改正により、民泊に合致しないことがわかり、賃貸借という形で運営されることになった。当初の予定どおりではないが、土木作業員などが長期滞在する宿として利用されている。
 
一方、近い将来、交通が不便になることを想定して始まったのが、カーシェアリングのサービスである。軽自動車とハイエースを2台、地区でリースして調達。高齢者だけでなく団体利用も想定し、利用者が使用料を支払う形での試みが始まった。だが車の維持費をまかなえるほどには利用が進まず、現在は休止状態になっている。
 
3本目の柱が、手打ちそば「瑞穂ふくのや」のオープンだった。2016年度の邑南町の都市交流推進拠点整備事業のコンペで採択され、500万円の助成を得て、元商店だった建物を改修。地域おこし協力隊として赴任していた男性が中心になり、店のオープンにこぎ着けた。こだわりの手打ち十割そばを提供し、価格も少し高めの路線を狙っている。現在は、お弁当の配食サービスも行うなど、事業は継続している。
第1期に行われたこれらすべての取組が、LLC安夢未を中心に進められた。

LLC内で何が起こっているかわからなかった

宿の再生や新しいそば屋ができるなど、住民にとっては嬉しい成果が上がっているようにも見える。だが第2期より、LLC安夢未はちくせん事業から離れてしまう。  
「地域の人たちがちくせんで何が行われているか、よう知らんまま話が進んでしまったんです。ちくせんが始まることは聞いてましたが、次はもう、安夢未はちくせんから離れますという報告だったもんで」(林さん)
 
「LLCということは一応会社なので、中で起こっていることにどこまで周りが首を突っ込んでいいかわからんような状態やったんだと思います」(川取さん)
 
情報共有がうまくいかなかったのが主な原因だったという。
 
ただしちくせんでは一度うまく進まなくても、期間が区切られていることから、再スタートを切りやすい設計になっている。失敗もチャレンジの一つとして捉え、再挑戦しやすい強度のあるしくみとも言えるだろう。

地域の生産者の協力を仰ぎながら

市木でも第2期の発展事業に入り、メンバーを入れ替えて体制から仕切り直すことになった。いまの4人は新たにメンバーが公募された際に、手を挙げた面々である。  
心機一転、進めようとしているのは大きく2つ。一つは免疫力を高める作物の栽培を地域内で普及させること。黒ニンニクや、シャクヤク、もともと市木で生産されてきたキクイモなどを地区の農家に生産してもらい、JAを通して販売していく活動を進めたい。
 
地域の人たちの健康維持にもつながり、耕作放棄地の保全にもなる。やがて収入になれば、生産者の生き甲斐づくりにもなるだろう。シャクヤクは、植えた後はじめの数年間は収入になりにくい作物であるため、ちくせんで初期投資ができれば、生産者にとっても着手しやすい。
 
「あくまで地域の人たちに声をかけて生産してもらうことを考えています。4年間のサポート後も収益が出れば自走していけるので」(水口さん)
 
そしてもう一つの柱は、地元に残る民宿などの地域資源をうまく利活用すること。コロナ禍のご時世から、テレワークなどを組み合わせて検討していく。

地域活動として、事業を営む難しさ

いまのメンバーで月に一度集まって会議を行っている。まずは、キクイモの健康増進効果を測定するためにモニタリングを行う予定。  
もともと市木地区には14人の生産者が共同で野菜をつくって販売する「野菜倶楽部」がある。そこの協力を得て、すでに黒ニンニクは生産が始まっている。ちくせんメンバーの一人である静間さんは本業の和菓子屋で「道の駅瑞穂(みずほ)」への販売・運送ルートをもつ。ゆくゆくはこのルートに相乗りする形で、栽培した農作物を運び、道の駅で販売することも考えている。
 
「でもちくせんは、公共性と商売のバランスが非常に難しいんですよね。儲けすぎると、補助金使って一部の人だけが儲かってって話になってしまう」と、水口さん。
 
「結局、そば屋をちくせんで進めるのが難しかったのもそういう面があったと思うんです。地域活性の一貫ではあるけど、短期的に見れば個人の利益になるから。中心的に関わった人は間に立たされて大変だった面もあると個人的には思っとります」(林さん)
 
事業にしながら、長期的に地域のためになればいいというのがちくせんの基本の考えだ。だが地域の人たちの心情として、一部の人たちの利益になれば妬みになることもあり、売上をどう扱うかが難しい…という声が次々にあがった。黒字になったとき売上をどう配分するのか、何に使うのか。事前に地域内で合意を取っておくことが重要なのかもしれない。
 
「ほかの地区の話やけど、中野地区の移動販売はうまくやっとるよね。関わる人たちが負担をしながら、地域で喜ばれて、売上も立っとる。バランスが取れていて、あれが行政の求めるお手本みたいなもんかな」と林さんは話した。

地域への思い

それにしても、みな本業があったり、自分の時間を割いてまで地域活動に従事する動機はどこからくるのだろう。  
「自分は長いこと仕事で広島の方へ出とったもんで、申し訳ない気持があったんです。地域の人たちにはお世話になっとるから。退職後は市木のために何かしたいと思ってました」(林さん)
 
「うちの場合は自営業なので、集まって話し合って何かするのがいつものことで。その延長みたいなもんですかね」(静間さん)
 
「私は現役の頃は農協に勤めとって、隣町が町をあげてシャクヤクをつくっているのを見て。小さい町でもうまくやれば荒廃した農地を活かせるんやなと思ったんです。一斉にものごとを動かそうとしても難しいけど、小さいところから始めるには、ちくせんの単位がちょうどいいなと思ったんです」(水口さん)
 
ただし、地域活動に対する住民の意識は大きく変わっているという。
 
「おかしなもので、今は携わる人間が、地域の人たちに協力してもらえませんかって頭を下げんといけん。本来ならやってくれてありがとうのはずなのに、逆転しとるよね」(静間さん)
 
「みんなが農業しとったときは地域で協力せんと生活できんかったけど、今は困らないですからね」(水口さん)
 
ちくせんは、一部の関わる人たちの負担になりやすい。一方で失われたつながりや協業を取り戻すいいきっかけにもなると言えるだろう。