井原

いばら

Ibara Area | CASE STUDY NO.10
 

ちくせんが終わっても、人びとの暮らしに根付く取組に

地元へまた戻りたいと思えるふるさと教育を

井原のちくせんでは、ノルディックウォーキングの普及やそば道場など、住民が楽しく参加できる活動が盛んに行われた。健康促進やコミュニティ活性を目的にしたもので、インストラクターやそば打ちの実践者を養成するなど、事業が終わった後も継続しやすい取組になった。  
活動について楽しそうに話してくれたのが、井原公民館長で地域マネージャーの鳥居清枝さん、公民館主事でありMIRAIクラブのまとめ役でもある藤井勇輝さん、そして井原地区へUターンしてきたという神田恵介さん、井原つながるプロジェクト会長の大田喜作さんである。
 
井原の地域づくりの活動は、夢づくりプランに始まった。その後コミュニティ再生事業、ちくせん第1期へと続くなかで、「地区ににぎわいを取り戻すために何ができるか」を考えてきた。
 
地元を離れても戻ってきたいと思うような人材を育むことができないか。まずは、子どもたちへのふるさと教育が挙げられる。だがそこで気付いたのが、教える側の大人も地域のことを知らないこと。そこで、井原魅力発見発掘文化事業が始まった。
 
「地区のことをよく知っている人はいますけど、その方が亡くなれば知識も消えてしまう。何とか残していこうと冊子をつくりました。2ヶ月に1度発行して、20部まで」(鳥居さん)
 
地区の歴史や文化を年配者から聞くための勉強会も行われ、同地区内に限らず、関心のある町民が参加。地区に残る山城のこと、戦争体験、井原の盆踊りがどんな風に始まったのか、など興味深い話を聞く機会になった。

町内に広まったノルディックウォーキング

ちくせん2つ目の柱として始まったのが、ノルディックウォーキングの普及である。  
「年寄りが増えたこともあって、みんなが元気に健康でいられるような活動をやった方がいいなと。そこで安心安全な運動としてノルディックウオーキングを町内で広めてきました」(神田さん)
 
ノルディックウオーキングとは、フィンランド発祥のフィットネスエクササイズ。2本のポールを後ろに押しながら歩くため、上半身も使う全身運動になる。以前からノルディックウオーキング協会とつながりのあった神田さんが居たことが、この取組を始めるきっかけになった。
 
鳥居さんが、専用のポールを持って歩いて見せてくれた。
 
「こんな風に後ろへぐっぐっと地面を押すようにして歩きます。ポールの先がとがっているので、普通の山登りのポールとは違って、自然と大股になって背筋が伸びて。姿勢がすごくよくなるんです」
 
普通のウォーキングに比べて、運動量が20パーセントも多いのだそうだ。登山道のような山に入った場所でも、アスファルトの道でも歩くことができる。
 
みんなで歩くイベントや講習会を行っただけでなく、より広く知ってもらおうと地域内でインストラクターを養成。いまや町内にベーシックインストラクターが4名。その手伝いをするアクティビティリーダーが20名。24名の資格者がいる。この活動のおかげで、なんと邑南町内にはいま170人ものノルディックウォーキングを楽しむ人がいるのだそうだ。

食べて元気になる活動「そば道場」

ノルディックウォーキングが「運動して元気になる」活動だとすると、「食べて元気になる」取組として始まったのが、そば打ちを体験できる「そば道場」である。これが、ちくせん3本目の柱となった。  
「最初にちくせんの説明を受けたとき、一つ儲けになることをやらんといかんと。ふるさと教育や、ノルディックウォーキングはそれはそれで大事なんやけど、そうした活動を維持するために多少は利益の出る取組もせんといかん。それで始めたのがそばなんです」(神田さん)
 
「井原そばづくり同好会」に始まり、参加者が自分でそばを打てるようになるための講習会を「そば道場」として開催。同時に、地域コミュニティを育むために、打ったそばを誰でも食べられるよう「そば処ちろう亭」を始めた。
 
「道場のほうは会員が60名近くいました。打ちたい人は何時から、食べるだけの人は何時に来てくださいとお知らせして。食べる方は誰でもできますからね。打ちたい人が打ったおそばをみんなで食べる。子どもさんも一緒に」(鳥居さん)
 
そば道場は、毎月一度第3土曜日に開かれ、活動としてはかなりの広がりを見せた。ちろう亭も多いときには20名が参加。町外や県外からも人が訪れた。これからますます参加者を増やしていこうというタイミングで、コロナ禍により活動を休止せざるを得なかった。

若い人たちが始めた「いばらMIRAIクラブ」

こうしてさまざまな取組が進んできた井原のちくせんだが、一つ大きな課題があった。運営サイドに若い人が少なかったことだ。  
「これまでちくせんで進めてきたことは、健康づくりやコミュニティ、人口を取り戻すための基盤づくりです。これからは活力の部分をもっとやっていかんといけん。そこで若い人を入れて盛り上げてもらおうと」(神田さん)
 
そこで第1期の終わり頃から始まったのが、若手による「いばらMIRAIクラブ」である。代表の高本一博さんと藤井さんが中心になり、同年代の若者に声をかけて18名が集まった。
 
「まず井原の地域資源って何だろうと考えると『雲井の里』ではないかという話になりました。小さな道の駅というか、産直市があるんです。そこを魅力あるスペースにして、情報発信やPRをしていこうと。地域のことを発信できる場所にもなるといいなと考えたんです」
 
現在、日曜日は隣町から魚屋さんを招いて販売してもらっていて行列ができる。このスペースを開放して、毎日のように何か行われる場所になれば、お客さんが定着するのではないか。そう考えて簡単な改修を施し、レンタルスペースとして運用し始めた。
 
夏場にはいばらMIRAIクラブが主体になって、屋台でかき氷を出すなどしてPR。まだ数は少ないが、さっそく年に2回使ってもらうことの決まった業者もある。さらに小学生と一緒に「雲井の里」でかけるBGMをつくる取組みにも関わった。

地域住民への浸透が課題

MIRAIクラブの活動は、若い人たち同士の交流を生む一つのきっかけにもなっている。  
「同級生が多いので、LINEでみんなつながって、じゃあ次の会議いつやろうかって感じで日を決めています。こういうことでもなければ、なかなか会う機会もないので」(藤井さん)
 
ライフステージも近く、言いたいことが言い合える同世代。普段から顔を合わせていれば、悩みや困りごとが生じた際に相談しやすい。活動の過程で、そうした支え合えるプラットフォームができていくのも、ちくせんの一つの利点だろう。
 
一方で、まだまだちくせん自体が地域住民には浸透していないと鳥居さんは話す。
 
「関わっている人たちは一生懸命活動しとっても、勝手にやっとるって言われたり。そこでちくせんの取組を発信するための広報紙を配布し始めました。ちゃんと配ってますから見てくださいねと言えますから」
 
大田さんは、役の任期も問題だと話す。
 
「役のときはみんな一生懸命やるんですよ。でも終わりがありますからね。新しい人が入るとまた一からスタートになる。任期の3年くらいじゃなかなか本格的な動きにならんのです」
 
直接活動に携わらない人たちをどう巻き込んでいくか。さらには地域のことを、どう自分ごととして捉えてもらうか。井原以外にも同様の悩みを抱える地区は多く、これはちくせん全体の課題とも言えるだろう。