口羽

くちば

Kuchiba Area | CASE STUDY NO.02
 

いち早く地域経営のしくみを導入したフロントランナー

「若いもんが帰ってくるのはあきらめる」が取り組みの出発点だった

「もう若いもんは帰ってこん。Uターンを過大に期待しないで、みんな最後は一人で死んでいくことを覚悟せんといかん。でもその時に、死ぬまでどうやって楽しく不自由なく暮らすか、その方策を考える方が重要です」

「口羽をてごぉする会」事務局長の小田博之(おだひろゆき)さんは淡々と口にした。胸をつくような言葉だが、ここ20年間、中山間地の現実を見てきた人の言葉である。
「てごぉする」とは島根の言葉で「手伝う」という意味だ。

今から10年以上前の2010年、小田さんは地元の有志8名とともに、てごぉする会を結成した。

「もとをたどれば、NPO法人ひろしまね(*1)の活動から続いとるんです。ひろしまねは2004年に立ち上げ、はじめは江の川流域のツーリズムを考えようという会だったんだけど、地域はそんな悠長な状況じゃなかった。集落は高齢者ばっかりで、暮らしを維持していくのさえやっと。まずは自分の暮らす口羽から見つめ直し、持続できる地域づくりを始めようと。江の川流域というくくりでは大きすぎたので地元に密着した組織をつくり直そうと、2010年にてごぉする会を立ち上げたんです」

(*1)広島と島根で広域的な地域づくりをするNPO法人

浮き彫りになった集落の課題

てごぉする会ができてまず行ったのは、現状を知るための全戸調査だった。後期高齢者世帯を抽出し、107軒を丹念に聞き取り調査してまわり、世帯カルテを制作。誰が何歳で、どれほどの農地をもっていて、日常的に誰が運転してどの辺りまで行っているか。そうした事柄をまとめていくと、課題として3つの柱が見えてきた。

一つには各集落で選出する「役」の多さ。行政や農協、お寺など、各集落から一人代表を出すよう依頼がくる。このままでは75歳以上の者ばかり数人で20の役をこなさなければならなくなる。二つ目は交通の問題。免許返納した高齢者は買い物や病院に行く手段がない。そして三つ目は、農地の維持。目の前の田んぼや畑が荒れていくのが忍びない。誰か代わりに耕作してくれないものかという声が多かった。

こうした困りごとの対策だけでは不十分で、住んでいる人の生き甲斐も大事。たとえ独居でも、楽しく生きるための施策が必要ではと会のメンバーは考えた。

「山奥の一軒家で誰とも話さず、ぽつんと一人で暮らしているだけじゃやれんじゃないですか。おいしいものを食べたり、時にはみんなで遊びに行ってこそ人生が充実する。だから、私らがマイクロバスを出してそうした機会をつくるのも大事だと」

こうした課題解決を目指して、取組みが始まっていった。

「集落支援センター」構想とLLP化(*2)

当初から、中山間地の集落には、“もう一つの役場”として機能する「集落支援センター」が必要ではないかという構想を小田さんたちはもっていた。

集落支援センターとは、自治会や集落の活動を支える地域経営の新しいしくみ。高齢化でまわらなくなった集落をサポートする機動力のある組織で、役場の補完的な役割を果たす。今まさにちくせんで推奨されている形だ。口羽では、このしくみを一早く実装しようとしていたことになる。

ただし、そのためには常駐の事務員も、場所も必要だ。さて、と考えているところへちょうど、2011年より邑南町の「コミュニティ再生事業」が始まった。5年間月13万円の人件費をバックアップしてくれてかつ、100万円の活動費が出るぴったりの事業だった。

将来、補助が終わっても維持できるよう、5年の間に独自の事業収益で自立できる組織にしようと、てごぉする会をLLPという組織形態にし、さまざまなコミュニティ・ビジネスを開発してきた。

たとえば、まず始めたのは新聞配達業。廃業した業者からてごぉする会が引き継ぎ、住民の7人が日替わりで配達に出る。広告の仕分けなども行い、働き手に賃金を払った残りは活動資金になる。また「ふるさと米販売事業」を展開して、羽須美の出身者に地元の米を販売。町営プールの指定管理などの受託事業を請け負うなど、これら収益事業により、てごぉする会で事務員を2人雇用できるまでになった。

これらの活動報告をする場として、また地区の総意を反映する場として、てごぉする会のメンバーを中心に自治会長や社協、公民館長などをまじえて「口羽地区推進協議会」を発足。いま地域の合意形成は推進協議会で行い、LLPてごぉする会が収益部門と実働部隊として機能している。

(*2)LLP Limited Liability Partnershipの略で「有限責任事業組合」。株式会社と違って利益配分や権限、ルールを内部自治により運営できる事業体

集落自治の機能を補う施策を、ちくせんで定着させる

こうして活動が軌道に乗り始めた頃、2015年よりちくせん事業は始まった。よって口羽では、ちくせんのために戦略を練るというより、やるべきことはすでにその前の活動から見えていて、ちくせんでは進行中の案件を確認しながらブラッシュアップする機会になった。現在は、福祉分野を中心とした「支え合い会議」として15人前後が毎月集まり、議論する会を続けている。

ちくせん前から実施してきた、集落維持の機能をサポートする施策は、数え切れない。シルバー人材センターを補う形で高齢世帯の困りごとの代行派遣サービスも実施。2019年より予約式の有償運送事業「デマンド交通」も始まった。中山間直接支払事業においては、希望のあった集落から事務サポートを請け負う。てごぉする会の事務所が入る建物は、今「よぼしば」と呼ばれる交流拠点にもなっている。

「地域の方々からは、デマンド交通のようなしくみができてありがたいって言われます。この場所もはじめは誰も来ん日もあったけど、今ではいろんな人が行き来して、コーヒー呑んだりおしゃべりして、にぎやかになりました」

事務所入り口脇の「善根市場」と書かれた売り場には100円均一のキャベツやニンニクなどの野菜が並んでいた。地元の農家がつくりすぎた野菜などを提供し、住民間でシェアする目的で始めたという。

「売上額は小さいけど、生きがい創出みたいなもんでね。100円じゃ安いわって言う人もおるけど、お金はいらんって持ってきてくれる人もおります」

隣の空き地には、古いマイクロバスが停まっていた。月に一度、車のない65歳以上の高齢者を対象に、送迎付きで食事会や日帰り旅行を行う。この日を楽しみにしているお年寄りがどれほどいるだろう。これまで年間150人ほどの参加者があったという。食事会の写真には高齢の女性たちが楽しそうにおしゃべりする様子が映っていた。

「小さな拠点モデル事業」の取組と、人材育成へ

ちくせんの後半からは「攻め」の取り組みにも着手し始めている。都市との交流事業や、人材育成、地産の鯉を使った特産品の開発。

2021年度にはこれまでの取組が評価され、お隣の阿須那地区とともに島根県の「小さな拠点づくり」モデル地区推進事業の対象地域に採択された。そこでちくせん発展事業の新規採択を辞退し、こちらの事業に集中して取り組むことに。

「小さな拠点モデル事業には1億円のハード助成がついているので、集落の機能を集約した新たな拠点づくりをしていきます。バスターミナルの整備によって、町営バスやデマンド交通の発着所にして乗り継ぎをよくする。そこにはATMや、コーヒースタンド、コンビニなどの機能を加え、みんなが寄れるサロンや、住民の相談窓口もあるようなイメージを目指します」

「若いもんが帰ってくるのはあきらめる」というどん底の発想から、一つずつ小さな解決をはかり、こうした大きな施策のモデル地区にまでなっている。邑南町の中でも、これほど生活に直結したしくみづくりが進んでいる地区はほかにないだろう。これから先、全国の同様な地域が追随することもふまえて、まず必要なことは何だろうと聞いてみた。小田さんは二つの話をしてくれた。

「いま町が助成対象として考えるのはまず自治会なんよね。でもその多くの実態は、仕方なく役員やっている人がおって、地域をサポートする事業をやれと言われても、どうすればいいかわからんという場合が多い。それは仕方がないと思うんです。だから町は『まず自治会を通して』ということにこだわらず、やる気のある個人や任意の住民団体をもっと後押ししていいと思う。ちくせん事業も自治会主導型からやる気のある自由なグループ方式へ展開し、大分変わってきたよね。

そしてもう一つは、住民自分らがこの拠点をまわそうと思ったら、これから先、専門的な知識のある助っ人がどうしても必要になる。地域外から有能な地域マネージャーを月給30万円くらい出して来てもらうのが理想やけど、それが無理だとしたら、いくつかの地区をかけもちしてくれるエリアマネージャーを確保するため、一緒に汗をかいてくれる実践的なコンサルに業務委託する方式がええんじゃないかと思います」

どこまで対策をしても住民の不安を100%取り除くことなどできないだろう。だが10年前に、この口羽地区に色濃く漂っていた高齢世帯の不安は、いまずいぶん和らいでいるように映った。